忘茶会

 

雪をみると、心持ちがしんとする。

大学までいくのが億劫になって(大抵の場合億劫)下の階でぼ〜っとしてると友人がお湯をとりにきた。

お裾わけした紅茶のティーパックにお湯をそそいで、一杯分、ゆっくりはなしをしてくれた。

外がうんと暗くて雪はこくこくと降っているのがカーテンの隙間からみえて、静かなのに騒がしい。

ここはまだあたたかくてあかるくて丸くなりたい。

ストーブのひかりとテレビの笑い声のこういうときの頼もしさ。

気休めにパソコンに文字を打ちながら、友人は紅茶を手持ちぶさたにかきまぜながら、いやなこと将来のはなし、恋人のはなしをひとつずつ話した、ひとつずつ。

勉強するのってなんでなんだっけ、こどもは親を選べなくて、恋人と結婚相手はどうやら違うし、私たち今は若いけど、もう22歳、遊牧民みたいな生き方もしてみたいし、海外のことも経済も法学も知らない、環境が左右してしまうことは残酷だし、世間は割とつめたいもんだ、育ちのいい子にはわからないこともあって、それでも私は今いる人たちを一人残らず手放したくない、音楽は捨てたもんじゃないかもしれない。

ひととおり話し終えるとひどく落ち着いて、眠たくなった。

もう今年は会えないかも、というから、たぶん寂しい顔をした。またすぐに会えるよ、よいお年を。どうか無事でいて。

わたしもあなたも、今年はもう十分すぎるほど、がんばったと思います。