パウンドケーキが焼きあがる

4月ももうじき終わりがくる。

花々は知らないあいだに咲きほぐし、新緑がきらめいている。

慣れない通勤路の最短ルートも知って、自転車から補助輪を外すみたく、重たい上着を一枚ずつ脱ぎ捨てていくみたく、どこかがひとつずつ軽やかになっていく。

今までの友人も知り合いもひとりもいないこの街では、同期だけが頼りだ。だって、相対的にそうなるしかないから。

 

絶対的に確かなことは、実はあまりない。けれど、友人とはいまのところ、定期的に電話をしている。

電話の向こう、去年の春はわたしたち、なにも進路が決まらなくて、海岸沿いのミスタードーナツで働こうって言っていたね。去年の冬はわたしたち、卒業できるかだって不安で、教授に甘ったれていたよね。私たちの会話に、ミスタードーナツ卒業論文も、昔好きだったバンドも出てくることはなかった。

バス来たからと、すぐに電話は切れて、そこからは特に連絡もしていない。本当にひどいときに電話するから、そちらもどうかお願いね。

 

 

何も変わってほしくない春、といったのはこのわたしだ。間違いない、嘘でもない。卒業式の翌日、友人と別れる朝、パンを食べながら、もそもそと会話をした。

わたしって、働いたら変わっちゃうのかな、漠然と投げかけると、もそもそとパンをほおばりながら、「足もとにあるタイルの可愛さにいつまでも気付ける人でいてほしいなあ」、と返ってきた。

公園では少女と母親が追いかけっこをしていた。わたしたちもいつかああなるということ?、首をかしげた。ひい、ふう、みい、覚悟が足りていないうちに、決断を迫られている気がして、口の中がざらついた。

 

 

まわりを見渡すと(正確にはインスタグラムを巡回すると)、女子高時代の友人らの多くはなんだか相応の恋人がいて、同年代の子たちは厭わず何らかを発信している。わたしはどうやらかねてより願っていた、遠くのところまで来てしまったようです。

itkmksのアカウントが友人に知られてももういい。恋愛のみじめな話だって叱って笑い飛ばして。かねての私には手の届かなかったような可愛い人が恋人になる。高校時代の友人にいつだって連絡をとっていい。いつか見返すと名付けた呪いは、朗らかな祈りになっていた。もう誰も見返さなくていい。

過去は過去でしかない、ノートの走り書き。昔みたとびきりの映画のストーリーは、さっぱり思い返せなかった。春になったら、先生に連絡しますといった彼女からのメッセージはまだ届かない。それでいい。

 

5月がきて、5月もまた終わる。私はまた自転車で帰る。

 

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