遊んで暮らしてとなんで働いて

ドライヤーの熱風をあびながら、柴田聡子の歌詞をみつめる。やっぱ変、と思ってたら、いっしゅん画面が暗くなって、電話マークがでてきた。ドライヤーをぱっと消して電話に出た。

あー元気、そーつらい、わーだよね、相槌なんかかなりなんでもいい。ぺらぺらと話す声の音程とリズムに合わせたらいい。お皿を洗って夜ごはんの支度をした。

休日のために生きてるような毎日で最悪だ、と思いながら、休日を楽しめるくらいのゆとりはある、と言い聞かす。銀行で働いていた先輩が、残高をぜんぶなくすくらいに使いたい、貯金なんていらない、とお酒を奢ってくれたのをたまに思い出す。きっと耐えられなかったんだろうな。

いつかこの点がつながるときがくるかしら? つらくはないけど楽しくもない。どこに地雷があるかわからない年配のマダムと話して、まわりの顔をうかがってばかりで、なにが仕事なんだろう。ありがとうとごめんねは言わなくていい、だからつべこべ言わずに要件をいえ!

あの人は仕事ができないから、と同期の間でうわさにあがる、あの人の気持ちのほうがいつもわかる。仕事のお昼休みに留守電に入った祖母の声消さないでいる。

毎日毎日毎日ですね〜

 

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願くばラッキーイヤー

 

寝てたら年が明けた。おばあちゃん家のこたつは何層にもふとんが重なってるから、ずっしり重くてあったかい。2355、見逃してしまった。あとで柴田聡子が歌ってたのを知ってもっと悔しい。

 

元旦はおじさんおばさんが着物をきて挨拶にきた。仲睦まじく、ひっそりと暮らす二人、幼いころからのひそかな憧れ。こういうのを年貢と言います、と言っておじさんはわたしの手のひらに小包みをおいた。縁結び、という銘柄の1合ぶんほどのお米。飼い猫の絵かき大会とサメのカードゲームをしていると、そのうち、ゆったりと揺れがきた。2時間くらいテレビ画面に釘づけになり、なんとか気を取り直してご飯を食べたけど、大学の近くの白い家、バスからよくみかけた白い家が横転しているのがうつって、つらかった。地震の非日常感が嫌いじゃないというネットの発言を見て、兄と父が大きな声で話してるのもいやになった。

 

2日、起きると箱根駅伝の青年らが走っていた。正直ありがたかった。あまりいろいろと考えたくなくて、スマホをみないように、掃除機やら洗濯物やら駅伝やらに没頭して過ごした。山の神候補、山の妖精、山の名探偵、ぼうしの子、大喜利的なネーミングセンスに救われる。笑ったり、神妙に応援したりしてお昼がすぎてった。津波もおおきくはならなかったようで、まだ、まだよかった。

ころあいになり、お刺身をぶあつく、ぶあつく切っていると、兄が飛行機が火事になったニュースを大きな声で伝えてくれた。あかあかと燃える飛行機の機体。

お布団のシーツをたたんでいると母が、元気ならそれでいいの、と前置きしたうえで、スーパーで母娘が買い物してるの見ると、いいなって、と言った。山形に戻ればよかったとさいきん思う、胸がぎゅっと苦しくなった。母の調子もあまり良くないようだ。わたしもみぞ落ちあたりがじんとたまに痛む。あんなに元気だった祖母もとうとう病になってしまった。

まだ12か月分ある。願くばラッキーイヤーであれ。君の悩みは聞けば聞くほど仕方ない、といってほしくて柴田聡子を聞いた。

 

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静かに逞しく

乾いた午前の空気、東海道線の車窓とululuの音楽の相性は良かった。今日は孫デイ、改札には祖母と大叔母がこじんまりと待っている。いつからわたしは、二人のことを、みおろせるようになったんだろうか。

駅前のいつものレストランで食事をすませる。祖母はつらつらと食べれないものを説明した。食べれるものは、うどんと、おかゆと、白身のお魚、煮た野菜、それから缶詰、ビスケット。まるで病食ね、大叔母は言った。

会計の前に大叔母とお手洗いへむかう。混んでいて地下のお手洗いまで行った。一銭も持っていないのに地下の花屋さんもついでにのぞいて、不謹慎だけど、きれいな格好をしたホームレスみたいで可笑しかった。花、ゼリー、ネックレスと書いた紙切れを大叔母は見せてくれた。ネックレスの金具がとれてしまって修理に出したいのだそう。

みっしりとボタンとミシン糸が並ぶ。河口湖のちかくで買ったという、ビーズが何層にも重なったネックレスを、うまく直してもらうと、大叔母はその場でつけてみせた。空にはぽつぽつとカラフルな風船が浮かぶ。内陸の雪国で育ったわたしは、太平洋側のほがらかさ(能天気さ?)がかなり好きだ。

それから祖母が百均でコップを買い、大叔母のよく行く洋服屋さんに顔を出し孫に間違えられてそのままにしたりして、カフェにはいった。

祖母も大叔母もわたしも、そろってプリンを頼んだ。缶詰のさくらんぼとホイップクリームがのってるかためのプリンと対峙しながら、祖母はとうとうと年末のこと、これからの検査のことなどを話した。検査にはまた2週間かかって、今度は深さを調べること、年始に旅館に行くがまったく気乗りしないこと。ぱぱっと年内にすましちゃいたいわよね、大叔母は適当に、けどずっと相槌をうっていた。

それから年末にたべるお餅の予約をして、わたしがお餅をとりにいく約束をした。食べれない食材が並ぶデパートを歩かなくちゃならない祖母の背中はいっそう頼りなかった。

祖母が隣人に車で迎えにきてもらうため、電話をしてるあいだ、大叔母とわたしはソファで待つことにした。誰かに何から何までしてもらうようになっちゃだめよ、わたしならタクシーで帰るわ、大叔母はきっぱり言った。大叔母は強くてかっこいいから、とわたしが言うと、少し顔がほころんでた。琴一個いらない、と聞かれたけど、大きいならいらない、と答えた。ほんとうはいつかもらってもいい。

 

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4年越しの羊文学、2人とみれてよかった。今の羊文学も好きだと思えた良いライブだった。金色は好きな歌詞を歌いちがえていた、あと少しの説明、というのが、あの曲の深みなのに。

 いつだって今がハッピーエンドでバッドエンドだ。死んでしまってもかまわない。みんなわたしの上位互換みたいな女の子があらわれたら、どっかに行っちゃったなとか思って、ちょっと悲しくなった。友人は会うたびに可愛くなってるから大丈夫だよとあしらってくれた。

 北へ向かえば良縁ありとおみくじに書いてあった友だちが、北へ帰る途中で男の子と連絡先を交換してた。わたしのおみくじは吉で、紫と桃色を身につけて人の集まるところにいけ、って書いてあった。

 かわいげのある素直なひとになりたいな

 

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夢のなかでも走ってた

8月も終わってから5日くらいすぎた、24歳になったのはとうの昔に感じる。会社にいることが前よりずいぶん楽になった。慣れか諦めか前進か後退か。生活の解像度が前よりちがう。眼鏡を買ったから?本を読まなくなったから? 私ってもうちょっと味のある人間だった気がする。年をとったから?Twitterをやめたから? 日々を生きやすくするためには深く考えないことだ。悲しくなりすぎる前にボタンをオフにして自分を責めないように心がける。インターネットでみつけた女の子がかわいくて魅力的で惑星みたいに不安定で獣みたいに素直でまぶしかった。羨ましくて好きになっちゃいそうで嫌いだ。わたしは決して、刹那的に生きるつもりはない。ないけれど5年後何をしてるかわからない。4年前住んでた金沢の街並みはほとんど変わっていなかったけれど、もう私が住んでた場所は取り壊されたんだった。思い出は思い出のままで二度と戻れないんだった。果たして。

雑できらめくパワー

もうおなじ制服は着れなくても、わたしたちが高校の同級生で、おなじ空気をすっていたこと、おなじ景色をみていた事実は変わらないのだと思えた、とびきりぜいたくな夜だった。東京で、それぞれの生活をもっていて、もう会わないのかと思っていた旧友たち。

駅で集合してサイゼリヤにはいると、ただの放課後の延長線がはじまった。箸が転がってもおかしい。勝ちが決まらなくて永遠に終わらないかと思ったウノ、テーブルに対して椅子が少ないから座らずにお菓子をたべる、立食パーティみたいだ。花火かと思ったら飛行機だった。夜はラーメンとコンビニのアイス。床とベットで雑魚寝して、ちょっと喧嘩になった。やけに早く目が覚めてそのままぼそぼそと話す友人の声。インドカレーと大きな餃子をたのんで床にひろげてたらふく食べる。

今度は芋煮会ね、と言うと、河原探しとくね、と返してくれる旧友たちが愛おしかった。

 

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きのう1日休みだったけど沼のように寝てたら終わった。久しぶりにごはんをつくったらおなかが痛くなって吐いてまた寝た。コンビニで会社の先輩に会ってしまった。きょうは前半在宅勤務して夕方、中学生が家にかえるのに逆らって会社に出社した。充電器を忘れたから最後の20分は共有のパソコンをひらいて帰った。ほとんど記憶ない薄味みたいな2日間。

夜に高校の友だちに電話した。大学のときから定期的に電話をして生存をたしかめる。会社、頑張りたくなくなった、と言ったら、それが良いか悪いかは知らないけど、と返してくれて、こいつ信用できるなと思った。 

好きな人たちにすぐ会えないところに住んでいる。電話じゃなくてなにも話さずごはんを食べたいだけなんだけど。毎月くる生理まえ、友だちが運良く電話はくれるけどどうやってたえていったらいい。

わたしの名前と似てるティナターナーが今日死んだ。

 

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生活 in the red

ひさしぶりになんの予定もない、ふつか休みだったから、とりあえず美容院にいった。美容院で髪を染めた。春になると自然と軽い色にしたくなって、毎年なんだかんだ気持ちがわたしを追い越して浮き浮きしている。それから悩んだ挙句、3月越しにバーに行くことにした。はじめて一人で行ってから、またきますと宣言して以来、自転車で前を通ることはあれど、いくべきときがこなくて行かずじまいだった。この機会を逃したら後悔する気がしたから門を叩いた。相変わらずおいしいお酒と広く、浅く、たまに深いような話をして、時間はすぎていく。

そんなに質問しようとしなくて大丈夫、と言われて痛いところをつかれた。背中が少し熱くて悲しかった。中学生のころ、そんなに八方美人になろうとしなくていいんだよ、と言われたのを、言った旧友の背後に迫る階段のピンク色を思い出した。わたしってなんだか、空っぽになってきたのかしら。

好きな音楽を聴かれて、これというのを答えられない。情けなくなった。自転車でさーっと帰って、コンビニに寄ったけどなにも買わなかった。わたしが炊いたごはんの味は美味しくて安心した。しばらく、バーには向かわないだろうな。

起きて日曜日。柴田聡子のどこへも行かないでをくりかえし聞いた。わからないけど、この気持ちは知ってる気がした。投票に行って植物屋さんに行った。裏側が真朱色の葉で、おもての葉は光をあびるとラメみたいにきらきら光るのが気に入った。抱きしめて帰る。1週間分のもろもろを買って、陽が傾いた部屋に戻ると、植物の葉は日の光のほうを向いていた。裏の真珠色がさっきより見えてぞっとした。植物からしたら、わたしがたんたんと弁当をつくる姿が怖かったかもしれない。

寝て起きたら月曜日だ。やっぱり働きたくないけれど新しい家具を買っちゃったからそのぶんは取り返さなくちゃならない。

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あるいは朗らかに

2019/8/16

久しぶりに会う友だち、はじめて会ったときは16歳だったらしい、もう20歳になってしまった。大人になって酸いも甘いも知ったとき今日と同じように笑いあえるかな。高校卒業時に、よく聴いていた音楽。わたしはあの教室が今でも大好きだ。

 帰んないでよ、という友だちの言葉、変わってしまった実家の家具、最寄りの駅のたくさんの自転車。あの中にわたしの使う自転車は絶対にないんだ。青いリボンの制服を着る少女たちとすれ違う。わたしのいないところで世界は回る。あの教室のわたしの席にはほかの女の子が座ってる。お腹の底から笑う友だちの声。いつまでも同じ温度を共有できたらいいのにね。あのまま、ずっと。

 

3年ほど顔をあわせてなかった旧友たちとの再会、つぎの約束までして、楽しいと嬉しいの間の感情にゆれながら、終電で帰った。

大衆居酒屋で鍋を囲み、ゲームセンターのぬいぐるみをみて、IKEAで買う気のない家具をみた。まぎれもなくあの頃のわたしたちだった。ここは東京で、もう23歳で、明日は会社で。それでもずっと着ていたセーターとか、熱量のすごい担任とか、文化祭で大統領のお面をかぶったこととか、塾で答えたsprig has cameとか、そんなことばかりが頭をよぎっては口に出して。今でも校訓をむねにだきかかえて、生きてこうね。青いリボンがなくたって私たちは一番いとおしいのだから。

 

 

 

 

 

鴨もお前を愛さない

3/10

他部署の人と話しているとき、わたしの言い分を上司がやんわり補ってくれていて、配属ガチャでいったら、ほんとうに恵まれてる(でも向こうは新卒ガチャはずれかもと思うと落ち込む)。5月に配属されて、今度はこの人たちに迷惑をかけるんだなあとだれの名前も覚えないまま、そう思ったことは記憶している。べちゃべちゃぐにぐにした甘えて育った成れの果てを、周りの人が社会人という型にあてはめようとしてくださってる。

それでもなんちゃって社会人。パソコンにこのソフト入れておいて、と言われて、はいはいと進めていたら、抜いてはいけない線をぬいて、在宅勤務している人のパソコンをぶち切った。頭の中でジャルジャルに日々反省!日々成長!と言わせたり、SMAPにナンバーワンにならなくていい元々特別なオンリーワン〜とか歌わせたりしている。こんな社会人はいやだ。みなさんわたしよりよっぽとうまくやれてる(やれる)はずなので、元気を出してください。

 

3/3

会社にいるときのわたしは、会社にいるときのわたしとして話しているのであって、一度も素のわたしをおろして喋らない日がある。そんな金曜日だったから、1人でバーに行くことにした。はじめてだから、おたがいを知って知らないまま話すというのがたのしくて、おいしくて高いお酒をたくさん飲んだ。ululu、カネコアヤノ、家主、シャムキャッツをレコードでかけてもらった。また来ますといったけど、1回目の特別さをこえられる気がしない。

次の日の朝、電話がかかってきて、友人は1人でバーに行くのをやめると言う。わたし、君がたのしそうなの羨ましくて1人でバーに行ってきたばかりよ。

そんなわけでわたしは1人でバーにいく女なのだと自負して生きた一週間だった。

 

3/4

会社のひとと鍋パーティをした。くたくたの野菜を食べながら、会社のわたしと素のわたしのどちらともつかない、よくわからないわたしとして話した。くたくたの野菜おいしかったけど、これなら一人で食べてもおいしいな。一人でいるのが楽しいと思わない、だれかといるのがずっと楽しいという子は、こんなふうに所在のなさを感じたことないんだろう(気遣いや立ち回りもうまい)と思って羨ましかった。

 

3/1

青い空や鴨、あひるボードをみつつ、ガラス張りの中で今日もあの人たちは働いてるのだと会社の天井に思いを馳せながら飲む瓶ビールは格別に気持ちがよかった。インターネットの知り合いたちも、もう4年くらいの付き合いになる。2020年のインスタの投稿にも、2023年のインスタの投稿にもいいねしててなんか妙なかんじ。大学のときねと話したら、それTwitterでみたよと返される。

下北沢へululuを見に行った。体調の悪いライブハウスだった。帰り、コンビニから出てくる大滝カヨとすれ違って声をかけた。去っていく大滝カヨとコンビニの光がなんだか忘れられなかった。

 

3/11

ちょうどいい鞄がなかったから、いつもより小さいポシェットで出かける。必要なものだけをしまっていったらぴったりおさまった。いつものわたしはわざわざなにをそんなに持ち歩いているのか。いつかの図書館でにきび面の中学生が勉強しながら夢想していた、好きなライブや好きな美術館に気ままにでかけて過ごす大人にはそれなりになれているが。このままでわたしは幸せなんだろうか。

 

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4月から新入社員という免罪符を捨てなくちゃいけないなんて、わたしはまだ信じたくない!

いきなりミサイルが落っこちたとか、寝たきりになってしまったとかそんな不幸な理由じゃなくて、なにかなるべく幸福なやりかたで、働くという概念よ消えてくれ。そろそろ働いて一年?はて、とぼけた頭を初春の空気が冷静にさせる。ここに越してきたのもちょうどこんな空気だった。毎朝7時のアラームがなるちょっと前に目を覚ましてしまうこと、遊びの予定をたてるときに仕事のシフトをきにしましまうこと。あ〜あ

根を張れ

2/11

長らく不在届が入っていた荷物をやっと受け取った。巾着をほどくとスムージーミキサー。お礼の連絡をすると、明日に山焼きを見にいかないかと誘われた。ぼうっと燃え上がるさまが興奮するのだそう。放火魔の気持ちがわかるのよ、電話越しの祖母はそう言う。3月にまた会う約束をしたらさっと電話は切れて、わたしは部屋に取り残されたのだった。

 

2/4

はじめてのオールナイト。13時に集合の予定なのにお互い遅刻して顔を合わせたのは15時だった。もう君としか友だちでいられない気がする。

未成年のころに夢みたオールナイトはたのしくてたのしくて、ひさしぶりにどっぷりと余韻に浸かりたいライブだった。前転してるひと階段で寝てるひと、常識の範囲内での秩序の乱れが心地良い。

〜ライブレポ〜

ululuはまえ見たよりも音のはまり方がどんぴしゃで駆け上がってきた。駆け上がる音の真ん中にある重たい大滝カヨの声とかたしかな生活感のある歌詞。犀川のよくわからない石に座ってhappyendを聴いたわたし、ululuはライブでもとても最高だよ。

ぜったくんのライブ、一番後ろの階段で座りながらみる。さとうもか、来ないよな来たらどうする?って笑ってたところにスペシャルゲストさとうもかちゃーんって響いて、ふたりで階段を駆け降りた。もか〜Momともコラボしてんじゃんどうすんだよ〜もか〜元気出してよ〜。

水曜日のカンパネラは、令和のプリキュアだと思う。radio gigaで履修済みだったから振り付けなんてお手のものだ。バルーンの中に入った水曜日のカンパネラは、パフォーマーを体現していてきらきらしてた。

あのSUNNY CAR WASHを私たちは見たことがなかった、そう、あのアダムくん。2階席のガラスにもたれかかって、眠たそうな友達の声。アダムくん、もうアダムくんの曲しかやらないのかね〜(まあいいんだけどね)2階のたるんだ空気が一変したのは、カーステレオだったから。つづけてキルミー、それだけ、ムーンステップを歌い上げてアダムくんは颯爽と帰ってった。放心気味にその足でガストに向かう。歩くたびに浮ついた足が地面について、うれしさがこみ上げてきた。あの、(本当はちょっと違うかもしれないけれど)SUNNY CAR WASHをみたんだ。

腹ごしらえをして、コンビニでコーヒーを飲んで、ハイネケンを持ち歩いて、次はMONO NO AWARE。実はMONO NO AWAREを聴くようになったのは、その日横にいた友人とはじめてみた時からだった。そんな小話は置いて、とにかく気持ちよかった。この音楽性で、こんなに色気があっていいんだろうか...なんじゃこれゃ、度肝を抜かれた。幽霊船のイントロ、あんなにぞわっとしてのぼせてしまうような音の並べ方、他にあるんでしょうか。

ふらふらしたあと、the dadadadaysをみた。tetoでなくなった小池さんがうたうtetoの曲もdadadaの曲も良かった。メアリー無理しないで、奴隷の唄、tetoって痛いくらいだから良いよね。dadadaはちょっと愛がある気がした。人を引き寄せてしまう小池さんの類い稀ない引力は変わらないままで安心した。中毒になりそう、やっぱり聴く麻薬で、どっかにトリップする、teto(dadada)のライブでしかみれない感情があるからやめられない。

転換の時間、会場の3分の2は座りこみをしてて、スラムだスラムだーと友だちと喚いた。Cody Leeが出てくるとスラムはぞろぞろと解散をして立ち上がってく。Cody Leeっていつみても誰が女の人か男の人がぱっと判断できないし、えっこんな人たちがCody Leeだったんだ?って思う現象なんなんだろう。時刻は1時を回っていた。

Cody Leeにみとれている友だちを置いて、2階のステージにかけ走ったら、売れないユーチューバーみたいな人たちがでてきた。君らが極東飯店か。ステッカーをばら撒いてくれたけどわたしの足元には落ちなくて悔しかった。荒削りなんだけど、ちゃっちい感じはするんだけど、キャッチーすぎないし、ウケ狙いの曲でもないし、ちゃんと歌ってくれてて、よくわかんないけど面白くて良かった。

最後にドレスコーズをみた。明け方のドレスコーズ、ぼんやりとした頭にドレスコーズが染みていってMPが回復していくのをたしかに感じた。

なんだか勿体無くて帰れないでいると、DJダイノジが踊りはじめて、いつのまにか私たちも踊っていた。意味わかんないので、冷静になって周りを見ると周りのみんなも真剣に踊ってて、おかしいのはわたしか、と思って最後まで踊ってしまった。正気の沙汰ではないが楽しかった。ツーステなんてしちゃったよ、23歳でよ。 

DJダイノジが帰ると、さっきまで陽気に踊っていたひとたちもふつうに歩きはじめて、そぞろに帰っていった。ホテルに着くと、一旦横になるね、と言って友人は眠りについた。

〜ライブレポおわり〜

2/10

免許の有効期限が切れていた。再発行するには普通の更新をする人たちと違う手順が必要らしい。4番の窓口に向かった。4番の窓口の人たちはいかにも免許の有効期限が切れていそうなメンバーでポッケに穴が空いていたりくちゃくちゃの紙を持っていたりした。わたしらは大きく出れないから、はいはいすんませんでした、はいと頷きながらようやく免許証を再発行してもらった。

 

2/11

通勤で自転車を漕いでいて見上げたとき、わたしはふと、ここがわたしの現実なんだなとわかった。ピントがようやく合った気がした。会社の机に向かう椅子の高さを低くして、床に自分の足がつくようにした。野菜が安いスーパーを知って、かわいい本屋さんの店員さんと話をして、ちょっとずつ輪郭がぼやけてここに溶け込んでいっている。わたしはここでしばらく生きていくんだろう。

 

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明けましてたらば蟹🦀

働くようになったわたしはきっとわたしではなくなってしまう、と繰り返し日記に書いていた。わたしでなくなることを恐れていた。けれどいつか働くことを迎合するだろう。やるせないことだ。

 

1月、ログインできずアカウントが消えたことを知る。ださすぎる現実にインターネットのフィルターをかけ、生活をごまかしていた。フィルターをかけなくても、いまの生活は大丈夫だ。さよなら、青い鳥。

 

年末にみた羊文学。塩塚モエカがまぎれもなく、わたしのために歌ってくれていて、音のひとつひとつを眼の前に置いていった。まともな生活になれ、呪いみたくワンルームの部屋で流していたこと。羊文学のライブにいこうとの約束、まだそれは叶っていない。東京で羊文学をみた女と疎遠だ。すべてが重なって、羊文学はわたしの音楽になった。1年間お疲れさまでした。

 

正月に旧友と会った。ドリンクバーを往復しながら、会話は高校と今の生活をいったりきたり。わたしたち、24歳か。恋人と地元で根を張った生活をはじめようとしている旧友をみると、これはこれでしあわせなんだろうなと憧れが湧く。年々、生理痛と情緒がおかしくなってきた。わたしには期限があることを思い知らされる。やになる。

 

帰省最終日、兄が餃子の具をつくり、母が餃子の皮をひろげ、わたしが餃子の皮を包んでいると、お風呂あがりの父がやってきて、父も餃子の皮をおりまげはじめた。父が料理をしているところをほとんどみたことがない。家族のかたちと不器用な餃子のかたち。

 

年明けクリスマスのプレゼントが友人らから届いた。もう、誰ひとり今の友人を手放すつもりはない。好きな人のために連絡を絶つという友人、そんな寂しいこといわないでっていうのは、わたしのエゴ?

 

会社にいるか、自宅にいるかの毎日だ。Googleマップも、勤務先に会社を設定してきて見透かされてて悔しい。自転車のパンクつめなきゃな、週末はお風呂に入りたいな。お弁当も作りたい。

働く自分もきらいじゃない。働くと今のわたしは死んでしまうと書いたことを忘れるくらい。

 

今年もよろしゅう〜〜

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会社の同期と飲み会より、よっぽど祖母とタリーズに行くほうが楽しくて、それってえばっていいのかわからない。席替えしたあとの卓では共通の話題もつかみどころもないまま、方言とNHKの教育番組の話が永遠に続いた。とりあえず口に放り込んだ焼肉はいっこうに噛み切れない。どこからかくる所在のなさは、大学の飲み会を彷彿とさせて嫌だった。帰ってみた鏡の中には、化粧がくずれて髪がぐちゃぐちゃのわたしの顔があって、こんな顔でお話してたわけ?お酒飲んでたわけ?とややへこむ。遠距離恋愛をする同期にほうった言葉が、時間差でわたしの元に帰ってきて、目の前にどんどん広がってった。爪楊枝には、噛みきれなかった肉の破片がついてた。