願くばラッキーイヤー

 

寝てたら年が明けた。おばあちゃん家のこたつは何層にもふとんが重なってるから、ずっしり重くてあったかい。2355、見逃してしまった。あとで柴田聡子が歌ってたのを知ってもっと悔しい。

 

元旦はおじさんおばさんが着物をきて挨拶にきた。仲睦まじく、ひっそりと暮らす二人、幼いころからのひそかな憧れ。こういうのを年貢と言います、と言っておじさんはわたしの手のひらに小包みをおいた。縁結び、という銘柄の1合ぶんほどのお米。飼い猫の絵かき大会とサメのカードゲームをしていると、そのうち、ゆったりと揺れがきた。2時間くらいテレビ画面に釘づけになり、なんとか気を取り直してご飯を食べたけど、大学の近くの白い家、バスからよくみかけた白い家が横転しているのがうつって、つらかった。地震の非日常感が嫌いじゃないというネットの発言を見て、兄と父が大きな声で話してるのもいやになった。

 

2日、起きると箱根駅伝の青年らが走っていた。正直ありがたかった。あまりいろいろと考えたくなくて、スマホをみないように、掃除機やら洗濯物やら駅伝やらに没頭して過ごした。山の神候補、山の妖精、山の名探偵、ぼうしの子、大喜利的なネーミングセンスに救われる。笑ったり、神妙に応援したりしてお昼がすぎてった。津波もおおきくはならなかったようで、まだ、まだよかった。

ころあいになり、お刺身をぶあつく、ぶあつく切っていると、兄が飛行機が火事になったニュースを大きな声で伝えてくれた。あかあかと燃える飛行機の機体。

お布団のシーツをたたんでいると母が、元気ならそれでいいの、と前置きしたうえで、スーパーで母娘が買い物してるの見ると、いいなって、と言った。山形に戻ればよかったとさいきん思う、胸がぎゅっと苦しくなった。母の調子もあまり良くないようだ。わたしもみぞ落ちあたりがじんとたまに痛む。あんなに元気だった祖母もとうとう病になってしまった。

まだ12か月分ある。願くばラッキーイヤーであれ。君の悩みは聞けば聞くほど仕方ない、といってほしくて柴田聡子を聞いた。

 

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