ブログタイトルに「すべて幸せの伏線回収」、サブタイトルに「幸せになれる気しかしてない」とつけた私の強さ、若さに敵うものはあるだろうか。
この日記はもう現在進行形で黒歴史である。そういうメタ認知、まだしばらく捨てておく。
2ヶ月、逃げるようにして寝てばかりいた。夢の中のわたしは限りなく幸せで、二度寝、三度寝、まだ10時、まだ〆切は遠い、昼夜問わず寝たくなったら寝る日々。
目が覚める。夢から打ち上げられた魚のよう、さーっと潮がひいて残るのは現実だけ。ひんやりとした室内、買ったままの短歌集、畳みきれない洗濯物。もう午前も終わろうとしていて、同居人たちは誰もいない。
同じ血をわかつ本能からか、連絡が頻繁にくるようになった。
父からline、母から電話、叔父からメール。何より驚いたのは、数億年ぶりに兄から連絡がきたことだった。タブレット使ってるよと送ると、すぐ既読がつく。3分後「就職してもっといいのを買え」と返信、兄の遠回りな優しさに妹は感銘した。
我々は、5歳のころ空き地で遊んだときを超え、学生の頃忌み嫌っていたときを超え、数億年ぶりに、漸く歩み寄ろうとしているのです。氷はいつか溶けるもの。
小さな家が嫌いだった、学校と家とイオンで完結する世界の狭さを恨んだ、私は一人で生きてやる、そう思って家を出た。
このざまだ、相変わらず友達は少ないし、母の手料理は毎晩食べたくなる。情けないなと思いながら、情けない自分を待ってくれる家があることは、何よりの幸せだ。
でもだからこそ、帰れない。
歯磨き粉を吐き出す、少しでも歯が白くなればいいと思いながら。
メールをチェックしてごみ箱に捨てていく、マッチングアプリを開いて左にスワイプし続ける。
さようなら、これは私の選ばなかった無数の未来だ。
重たいパソコンと向き合うと、まあるくなった顔が暗く映る。なんてみじめなんだろう。
今の私が一番若くて可愛いのに、どうしてこんなに悲しんで浪費しているんだろう。誰かを好きになる余裕がないのだろう。こうして、何にもならない日記なんて書いてるし。部屋の隅っこに座ってる。
点と点がつながって、いまのまあるい顔の私も連なって、線になるときがくるのだろうか。
「生きているかぎりバットエンドはない」、何度でも言ってほしくて、もう再生するのは何回目だろう。
「すべて幸せの伏線回収」、意気揚々と書いたいつかの私。このタイトルを回収できる日が来るまで、何がなんでも生きてやる。