母は私

眠れないから母について思うことを書く。わたしが事故死とかしたら、これを見つけて泣けばいい。ほかの記事は読まなくていい。

この前ドンキの帰り道、自転車を漕いでたらよくわかんないけど悲しくなってちょっとだけ泣いた。意味わかんねえ。母とカラオケに行きたいと思った。母は私に大体歌わせてくれる。母は私がどんな歌を歌っても反応してくれる。お母さんもいい曲だと思うわだとか、理解できない難しい歌詞だねとか、今のはテンポをとるのが難しいよとか、そういうことをいちいち言う。母とカラオケに行きたい。去年の夏、高円寺に遊びに行った。映画の話をすると嬉しそうだった。喫茶店ではしゃいでケーキを頼んでた。母はすぐ謝る。ごめんね、怒らせちゃって、私が不機嫌だとそう。すぐ謝るからそれがまだ煩わしくて、私はもっと不機嫌になる。謝らなくて良いことで母は謝る人だ。ほんとうに損だと思う。母はなぜお父さんと結婚したのだろう。全くわからない、聞いたこともない。けど私は、父と母がデートで紅の豚恋の門を見に行ったことを知っている。ちょっと、いやかなり好き。それと、父と母が友人たちとBBQをしてる写真もみたことがある。赤いリップ、白いブラウス。母は、母である前に1人の女の人だったのか、驚いた。当たり前なんだけど。

私は歳をとるごとにどんどん母に似てきている。私は母がどんな音楽を好きかよく知らないのにバンドにハマり、母の影響をばちばちにうけて女子校に入学、最近は映画も見はじめて、もうかなり母の人生をやってると思う。そろそろ父に出会うころだろうか。まだ先か。

 

私が小川洋子を読まないのは、完璧に母にならないようにするためである。実家に帰りたい。母のごはんが食べたい。まあどうせ、会ったらうまく話せないでふて腐れるんだけど。