はたらく、あいす、わたしたち

週に5回、8時間分労働に肩まで浸からせていると、これまでの輪郭がよくわからなくなってくる。今年はそんなに本読めなかったなあ。帰ったらYouTubeをみて、朝はシャワーを浴びて、昼はコンビニのごはんをたべる。このわたしが、新卒の座談会でたのしく話さなくちゃならないらしい。

どこかで人から好かれないほうに、忙しいほうに安心している自分がいて、好かれないほうが楽じゃない、暇よりましじゃない。

とどのつまりわたしは、小学5年生親友と喧嘩をして、謝らないままきたわたしとなにも変われていないのだ。

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おでんとパフェをいっしょに食べる

はじめて琵琶湖をみた。湖なのだから、もっと水たまりのようなものだと思っていた。光を十分にきらめかせ、まわりをぐるぐるとさせるほどに人を引き寄せ、風から波をおだやかにたたせるそのさまは、海からおぞましさを失わせた、天国にある海のようだった。

音楽は聴かれなきゃ意味がないというバンドマンの言葉に異を唱えた友人と、人は社会からどう思われているかが重要なのだとたしなめてくれた友人は、本当におなじ人なんだろうか。音楽は聴かれてはじめて成立するのではなく、聴かれない音楽にも美学があり価値を見出せるなら、社会からそう捉えられていなくても、自分がみとめる自己にも感情があり、無視はできないと思う。いつも貴方はあかるいからと言ってくれたやさしさも、理解できるけれど。

(何に対してという目的が抜け落ちているからズレているように聞こえるだけ。商業的な目的であるならば、音楽はきかれなきゃ意味がないし、人は社会からどう思われているかが重要なのだ。でもそれって悲しくない?)

マイクをななめに回しまくり、ギターをなげ、手当たり次第にパンクロックをコピーしていた、正月あけに今おすすめのバンドを教えてくれと話した、銀行員と公務員と大学生をあきらめた彼らは、タワレコあいみょんの横にいるらしい。海外をまわっていた同級生は、もう大学をやめてしまうらしい。したいことがないから、学びたいことがわからないと。

もう縁が切れたかもしれない、大学のグループLINEで、お誕生日おめでとうと送ったら、ぽんぽんとメッセージが続いてうれしかった。仕事って全然楽しくない!と泣き笑いの顔文字。

母にずっと怒られていた。母の自己肯定感の低さとわたしの自己肯定感の低さはおそらく、ほとんどおなじ形でしょうね。いつまでも、都合よく気にしてもらえると、都合よく可愛がられると、都合よく許されると思ってはいけません。

(読み合わせがわるい文章だけど、おでんとパフェを交互に、おいしそうに食べている少年をみて、すごく良いね!と思った。)

 

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girlsではなくなる

大学の友人らは、4年間のなか洗練されただけあって、空気の吸い方もわたしと似てる気がする。ありがたい。彼女たちがいるから、わたしは会社でそれほど親密な仲にならなくていいと思える。みんなが新しい人たちとうまくやれてるならそれに越したことはない。

もっとやさしく強くなりたい。どうしたって、わたしの言葉は、誰かを傷つけうる棘を秘めていて。Instagramに写真を投稿すると、記憶のどこかが変色してしまうように、放ったことばの行方はわからなくなってしまう。でもそれが会話ってことだよな。

あなたがうけた傷の、つくってしまう壁の、その全てをわかることはできない。できることは、ひたむきにわかろうとすることであって、してはならないことは、わかった口をきくこと、忘れてはならないことは、私たちはちがう人間だということだ。

生きれば生きるほど、ぐるぐると選択を繰り返す。木の幹から枝につながるように、ぐんぐんと細いところをつたっていって、これから私たちは違う世界で暮らす別の生きものになっていきますね。受け入れつつも、やっぱり寂しいね。

いつかは楽になる、でも、そのいつかがいつかは誰もわからないまま。渦中の彼女は、ハッピーエンドの札がでるまで、巡り続けなくちゃならない。

空気が薄くて深いところにいれば、浮揚したとき、どれほど人に優しくできるか。深いところにいればいるほど、まとう空気は深く厚くなり、長くいればいるほど、熟れていく。だから大丈夫なんだよ、わたしもあなたも。わたしは暗いところにいる、あなたも好きなんだ。girlsでなくなっても、誰からも愛されなくても、社会とのつじつまが合わなくなっても。

 

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やんわり四面楚歌

 高校の同級生が、夜職をしているのを知ってやるせない。1週間で手にはいるお金が、昼職では1ヶ月かかるんだって、ばからしいね。

 大学のころ、社会人になった先輩と飲んだとき、毎日怒られてばっかだ、給料全て使い果たしたいと嘆いていたのが、鮮明に近づいてくる。思えばわたしの周りにいた社会人なんて、仕事が向いてないひとばかりだった。朝礼の挨拶がなにより嫌なひと、窓際社員のようなひと。わからなかったことが、わかるようになってしまった。キーボードの上に置いてある手がぼんやりとする。銀行員と公務員になった先輩は、もう春に仕事をやめてバンドをしてる。

 やっぱり不景気なんだなって感じる場面がふえてきて、使い回された言い方だけど、ちょっとずつ沈んでく船にみんなで乗ってるみたいなもんよね。

 夢のなかのわたしが、大きな声で怒っていて、目覚めたらすっきりしていた。わたし怒りたかったんだ。でもいつまでも子どもみたいなのやめたいな。

 

 

それが愛なら愛ですね

 働きはじめて2ヶ月くらいが過ぎた。先輩社員から、先輩風を吹かせたみたいなことを聞いて、新入社員らしく落ち込んだり感銘をうけたりうなずいてみたりしてみせる。勉強になります、とか全然言ってる。

 去年の5月に比べたら、どこも真っ暗ではない。運良く拾ってもらった会社だ。自分は小さくてポンコツだけど、まわりの環境と人に恵まれて、なんとかここまでやってこれている。ずっと願っていた、一人暮らしの部屋は、わたしが手に入れたものしか並ばない。

 UlulUのライブ、勝手にふるえてろのロケ地、森道市場、かねてより行きたかった場所にも、順調に足を運べている。恵まれすぎてるほどだ。

 今日は大学の友だちに会う予定があって、朝から歩いて電車に乗った。まさか大学一年の、サークルの飲み会で話した2人と、社会人になってからも遊ぶとは思わなかった。まだビールを飲まないで、ジュースを片手に自己紹介しあった、2人の顔を職場の化粧室で思い出す。

 お昼休みはどうしても職場から自分を切り離したくて、ただそれだけの理由で外食したりコンビニの休憩所でごはんを食べる。どうしようもないときは、心のエナジードリンクこと、サンボマスターを聴いてる。できっこないをやらなくちゃのアルバムタイトル、知ってますか?あれは結構、良いね。

 中学の頃切望していた、誰も知らない街で暮らすという私の願いは叶った。叶ったわけだけど、ここは誰に会うにしても時間もお金もかかってしまってちょっと困る。(ちょっと困るくらいがちょうど良いのかもしれない) どうせ良く行くのだって、近くのコンビニだし、そろそろコンビニの店員と顔見知りになる。

 働き出したら劇的になにかが変わると思った。ぬるま湯で茹でられてるのかもしれない。変わったことは、シャワーを浴びるとき独り言をいうのがふえたこと、通帳を見る回数がふえたこと。

 高校の友人から久しぶりに連絡、外食の誘いだ。上京した他の同窓も誘うらしい。もうほとんど縁が切れたと思ってた。私たち、まだやれるよね。来週はちゃんとゴミを捨てること。謝りたいひとには謝ること。もっと素直に簡単にやっていきたい。どうだ。

 

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ネイルの色を落としても

 金曜の夜はビールを4杯、梅酒を3杯飲んだ。同期たちとわたしの間柄がすこしでも滑らかなものとなるように、ごまかすように、見栄を張るようにぐひぐび飲んだ。一次会で抜けて、同期のひとりと帰った。風が心地よいが、視界がすこしまわった。気持ち悪いとLINEをうってじきに横になった。

 土曜の朝は友だちへのLINEではじまった。3ヶ月ぶりに会う友人とわたしが再会した場所は、駅のお手洗いだった。森道市場の風は森道市場の風が吹いていて、ひどく特別で、満ち足りたものだった。視界のすみずみ、音のすみずみ、どこをどう切り取っても、どうあがいてもまばゆく圧倒的だった。サニーデイ、kirinji、helshinki、海、ビール、足のだるさでさえ気持ち良い。あまった時間は遊園地で過ごして、すこしでも帰る時間を先延ばしにした。おもちゃみたいなふざけた明かりにきらきらと照らされながら、22年生きた女ふたり、ジェットコースターに乗り、メリーゴーランドに乗った。フェス終わりのひとたちとそぞろに帰る。前の人の背中を視界にとどめながら、後ろの人の会話を耳にいれながら。なんか遠足みたいと言ったら、みんな友だちみたいなもんと彼女も笑ってた。

 日曜は1日熱くて参った。飽きることなく、朝食のパンを買い、これまた飽きることなく、公園で食べた。事前に行きたいとリストにあげてたお店にはほとんど行かなくて、ベンチで休憩してなにも話さなかったり、目を引く看板の家具屋さんに入ったり、わざわざバスを乗り継いでオムライスを食べたりした。ふたりとも知らない、特別なテーマパークがあるわけでもないのに、すごくたのしかった。わたしが知らない町でも、人びとはふつうに楽しく生活を営んでいて、植物も青々としていて、公園で子どもはのびやかに遊んでいる。不思議だし、ちょっと悲しいけど、別にわたしがいなくても世界って大丈夫、当たり前だけれど安心した。

 友人とは友人としか摂取できない居心地のよさとかときめきがあるね。君の感じの良さと気遣いは天下一品だ。4月からずっと会社にいる自分と恋人といる自分がはりついていたから、なんだかよかった。メイクも服装だってちょっと違う。わたしだって友だちといるとき、こんなに伸びやかに笑えるんだよね。別れ際、なんか寂しいかもというから、わたしは寂しさよりも嬉しさが勝った。

 また来年も森道市場にいこうね、と友人の口から出てきたから良い日だ。明日のためにまたネイルを落とさなくちゃならない。それでも心に小さな反抗心と雑なかわいさとのびやかな休日のことを残して生活していく。ネイルがなくたってわたしはちょっとだけ強くなれたはずだ。アルコールの力はまだ借りるかもしれないけれど。

 

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なんでもない日々

 自分のTwitterを見返していたら、とにかく泣いてばかりで呆れた。泣くことが非日常的だからこそ、ツイートするのだろうけれど、それにしても泣きすぎだよ。どうにかしてくれ。

 今日、実は前から画策していた美術館に行くことをひとりで遂行した。住んでいるとこからはちょっと遠い街。大学の友人が住んでいるけれど、連絡しないつもりでいた。ひとりで美術館に行って、街を行ったり来たりしながら、喫茶店や本屋さんに気まぐれにはいる。いつかの東京ぶり、心持ちがしんとして、思考は思うままにすいすいと進んで、なかなかにいやされた。買い残したお店にふらっと立ち戻ったり、突然ベンチでぼーっと座ってみたり、閉館30分前にもう一度展示をみたりした。水が光の粒をもって流れていくのを、自転車でひとがのんびりと通り過ぎていくのを目に留めながら、わたしは学生時代の街からでてきてよかったと心の底から思った。もっと知らない街に行って知らないことを知りたい。若さだってそろそろすり減っちゃうんだから。

 ひとりで遠出するのはいつも、ライブがあるからだった。演奏する彼らはきらめいていて嬉しい。わたしはでもそちら側ではない、きらめけないことをそのたびに思い知らされて、悔しくて寂しいのだった。たくさんの人と音楽を聴いているのに、アーティストはわたしに歌いかけているのに。ライトがぐるぐるあてられて、余計にひとりなのが際立つんだ。

 あれからまた時間が経った。性懲りもなく、古本を買いあさっている。わたしは一人暮らしを春からはじめた。自分のお金で、自分の時間で、生きていかなくちゃならなくなった。毎日毎日働いていたらあなたの名前の漢字を忘れるなんてことはないけれど、明らかに心は窮屈になっていて、自分の器の小ささに辟易する。なにが苦しいのかわからなくて、むしろ苦しくないはずなのだけど、ドライヤーで髪を乾かしながら、洗濯機に背中を合わせて本を毎晩読んでいる。強くなれ、先輩の声は、ドライヤーでかき消してしまえ。ごめんなさい、とすぐ謝るくちぐせはいつのまにか母そっくりだ。わたしまだ22歳、わたしもう22歳だ。

 遠出した先の古本屋で母へ本を買った。わたしが小さい頃から、あなたはどこか知らない遠くの街でお母さんたちのことを忘れて生活をするんだろうね、と聞かされてきた。

 わたしもうずいぶん遠くまで来てしまって、だいたいは母の予想通りに進んだ、幸いにも。でも、お母さんの料理を思い出して、きゅうりと卵と豚の炒めものも手羽先のキムチ煮も作るし、パソコンで無機質に体を作動させながら、頭では緑豊かな登下校の道を反芻している。

 なんでもない、言い聞かせる日々を繰り返して、わたしは次の夏で23歳になる。ラブリーサマーちゃんはどうしたいの?って歌って、シャムキャッツ がこのままでいれたらいいねって、カネコアヤノは次の夏には好きな人連れて月までバカンスしたいって言う。わたしはもうわかってるはずだ。

 

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パウンドケーキが焼きあがる

4月ももうじき終わりがくる。

花々は知らないあいだに咲きほぐし、新緑がきらめいている。

慣れない通勤路の最短ルートも知って、自転車から補助輪を外すみたく、重たい上着を一枚ずつ脱ぎ捨てていくみたく、どこかがひとつずつ軽やかになっていく。

今までの友人も知り合いもひとりもいないこの街では、同期だけが頼りだ。だって、相対的にそうなるしかないから。

 

絶対的に確かなことは、実はあまりない。けれど、友人とはいまのところ、定期的に電話をしている。

電話の向こう、去年の春はわたしたち、なにも進路が決まらなくて、海岸沿いのミスタードーナツで働こうって言っていたね。去年の冬はわたしたち、卒業できるかだって不安で、教授に甘ったれていたよね。私たちの会話に、ミスタードーナツ卒業論文も、昔好きだったバンドも出てくることはなかった。

バス来たからと、すぐに電話は切れて、そこからは特に連絡もしていない。本当にひどいときに電話するから、そちらもどうかお願いね。

 

 

何も変わってほしくない春、といったのはこのわたしだ。間違いない、嘘でもない。卒業式の翌日、友人と別れる朝、パンを食べながら、もそもそと会話をした。

わたしって、働いたら変わっちゃうのかな、漠然と投げかけると、もそもそとパンをほおばりながら、「足もとにあるタイルの可愛さにいつまでも気付ける人でいてほしいなあ」、と返ってきた。

公園では少女と母親が追いかけっこをしていた。わたしたちもいつかああなるということ?、首をかしげた。ひい、ふう、みい、覚悟が足りていないうちに、決断を迫られている気がして、口の中がざらついた。

 

 

まわりを見渡すと(正確にはインスタグラムを巡回すると)、女子高時代の友人らの多くはなんだか相応の恋人がいて、同年代の子たちは厭わず何らかを発信している。わたしはどうやらかねてより願っていた、遠くのところまで来てしまったようです。

itkmksのアカウントが友人に知られてももういい。恋愛のみじめな話だって叱って笑い飛ばして。かねての私には手の届かなかったような可愛い人が恋人になる。高校時代の友人にいつだって連絡をとっていい。いつか見返すと名付けた呪いは、朗らかな祈りになっていた。もう誰も見返さなくていい。

過去は過去でしかない、ノートの走り書き。昔みたとびきりの映画のストーリーは、さっぱり思い返せなかった。春になったら、先生に連絡しますといった彼女からのメッセージはまだ届かない。それでいい。

 

5月がきて、5月もまた終わる。私はまた自転車で帰る。

 

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夜にケーキを食べていい

 幸福をのむことは、不幸になることよりも覚悟がいることだ。

 これ、なんだっけ、岡崎京子?わかった、下妻物語だ。 

 不幸でいる方がよっぽど楽で、幸福な生活の隙間のどこかにほつれをさがして、大丈夫、怖くない、私はまだ不幸にだって慣れていると唱える。幸せな日常の映像に、大丈夫、こういうのはよくあるはずだと言い聞かせる、言い聞かせるけど、やっぱり、いまってかなりしあわせでとくべつ。こんなにも変わってほしくない、失いたくないと思う春がはじめてで戸惑う。好きな人がわたしの好きなものしかない部屋にいる春が訪れてしまった。spring、has、come、もっと強くなりたい。

 新しい春だから、毎春なにかしらを捨て去ってきたわけで、新しい春だから毎春ときめいた景色に苛立ってきたわけだけど。とてもおだやか、おだやかで目をみはってしまうほど。一歩進んで二歩下がるような大学生活に、駆け足で別れを告げた。

 

金曜日

 友人と好きな川沿いに泊まって、好きなお菓子屋さんのケーキを買って、好きなチャイティを飲んだ。わたしたちも、極まったものですね。夜、意味のわからない海外の料理番組をみながら寝た。友人はずっと可愛かった。

 

土曜日

 お昼、研究室の同期たちと会った。コストコのマフィンは半分でもういいかなと思った。みんなよりすこしはやく帰った、もう少し話していたかったけれど、そのくらいがちょうどいいんだった。

 夜、バイト先の憧れていた先輩と餃子を作った。てきぱきと仕事を捌くさまが好きだった。てきぱきと作られた餃子は、てきぱきと作られたなりにとてもおいしいものだった。

 

日曜日

 最後の日曜日のカネコアヤノのライブは、金沢からの手向けの花だと思うことにした。カネコアヤノは私の大学生活に寄り添ってきた、それは、どういうことかというと、カネコアヤノの言葉の端々、音のすみずみに、私の大学生活のやるせなさ、つまらなさ、眠れない夜、帰れない道、泣いた川、むかつく自分、そしてとびきり楽しい日々、愛しい人たち、恋しい街並み、不安、はかなさ、かけがえのなさ、それが反射して、ありありと住みついている、染みついているんだった。かわる、かわる、かわる、かわる、変わっていく景色をうけいれろ、屋根の色はじぶんできめる、美しいからぼくらは。私はもう大丈夫なんだという安堵と、傷ついて傷つけたこの街や人々ともとうとう離れなければならない不安、視界がゆがんで、それでもカネコアヤノはずっと光のなかにいた。帰りに、燦々のCDを買って、まっすぐに一人で自転車に乗って帰った。夜の金沢をこうして自転車で乗って帰るのが、私は好きだった。

 

月曜日

 大学生活で一番乗ったであろう友人の車を洗った。気分がよかった。ハンバーガーを食べたあとで、おなかいっぱいになりながら、悩みは誰だって適当にきいているんだから、なんだって話してみてもいいんじゃない、とそれとなく言われた。

 最後のバイト。今日最後なことを告げれば、きょとんとされてやめがいがあるものだなと思った。軽くゆるい関係にあった人間関係、どうもありがとう。ケーキやらハンカチやら大福やらをもらった。続けがいがあるもんだ。

 

火曜日・水曜日

 その瞬間において、私たちは確かに、永遠に友だちだ。3人のきらきらした笑顔や声があちこちに散らばった。やさしさに頭があがらなかった。いつかまた必ず会いましょう。日当たりの良い部屋で待ってるね、ミスタードーナツを買って帰ろう。

 

金曜日

 4年間のすべては、5袋のごみ袋と15個の段ボールに煩雑にかわいらしくおさまった。一時間もしないうちにあっという間にトラックに積み込まれていくのを、茫然と眺めていた。ホワイトボードに書かれた自分の名前は、除光液に浮いてすんなりと流れていった。

 金沢を離れた。もう帰る部屋はない。とびきり走りたい気分だった。金沢で起こったこと起こらなかったこと、全部を思い出したようで振り切りたかった。金沢での生活はこの先、何度も思い返すことになるでしょう、との父の手紙。金沢を学生時代を過ごした街としてとっておける。さよなら、お元気で、名前も顔もない街の人にあいさつした。金沢の女の子というタイトルで私のことを思い返す人がいることを思った、これは呪いだ。好きな人たちと離れて暮らすということは、いざというときにいっしょに死ねない可能性を高めていることなんだとわかった、これは祈りだ。

 

 次の街でも、どうかみなさん、変わらず愛しく。

 

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 迫りくる来春へのときめきと、ほんとうに何事もなく卒業できるのだろうかという不安、ジェットコースターみたいだと思っていたら、友人らもそう思っていたらしく、すこし救われた。いまの一番の祈りは、卒業して就職することかもしれない。(卒業確定のお知らせが3月はじめって遅すぎる)

 

 連日、大学生活の腕をつかむように、スケジュールの空白を埋めている。もう会うことはないかもしれない、糸をつなぐようにつきあわせる顔、からまりをほどくためにする連絡、まだ縫い目は続いていくのだとつなぎとめる言葉。冬がきわまっていたころよりも、やりとりをする相手がふえた。かわりめだから、と言い聞かせて連絡をする。いつか叶うかわからない約束を何個だってつくってやる。

 

 サークルのつてから、先輩が会社をやめること、後輩らが付き合いだしたこと、同期が留年をすることを知った。いびつだったけど、あの場に身をおいていて、やさしくされていたこともあったんだな、なんか変なの。

 

年始

 冬の凍てつくような夜、友人と電話をして帰った。男のひとが、魚をおろしてもってきてくれた、ひとつも骨がはいっていないまっさらな切れ身。二人で食べましょうと持ってきたお菓子は、たいしたものでも、ひとりで食べきれないものではなかった。友人は夢のなかから電話をかけている風情だった。

 

木曜日

 机上の空論、ランチテーブルにおかれるパスタ、オムライス、コーヒー、ケーキ、アップルパイ。GUやユニクロが、ニトリが安い理由にめをつむって買いものするみたく、たくさんの約束を軽やかにかわしていく。

 

金曜日

 本を三冊読む合間にケーキを焼いて、疲れたら本を読んで、もう一度ケーキを焼いて、本を読み終えた。焼いたケーキは、ほとんどひとりで食べてしまった。

 

火曜日

 ゆるふわな雰囲気とはうらはらにある、たしかで強いところが好きで友達でいたんだ。仕事を選んでしまうかも、だれかより自分のことを大切にしたいからと難なく答えた友人は、たやすく車を右にカーブさせていた。恋愛のはなしは数えるほどしかしたことがなくて、いつも人づてに噂をきく。そんなのでいいと思う。彼女にいま好きな人がいるかも、私のことも、なにもしらないまま、ケーキとコーヒーをたいらげて、ろくろで陶器をつくって、焼き菓子を買って帰った。口はつねに忙しくて、ずいぶんと喉がかわいてしまった。

 

水曜日 

 友人のまつげにみとれていたら、一日は終わった。同じ出身地で、となりの席に座ったから、苗字が一字違いだから、それだけのきっかけだけで、ここまで仲良くしてくれたことがうれしい。帰りのバス、この子のまつげはどうなっているんだろう、となりの席からぬすみみたのは、はじめて会った日も今日も変わらなかった。

 

 案の定バスは遅れていて、ぼうぜんと立ち尽くしていたら、女性に話しかけられた。政治の署名を集めているらしくて、今すぐに今日、ここに、名前を書いてほしいんです、と強くいった。ボールペンはつめたくて、文章に2回くらい目を通していたら、バスが来ますからと言い残して女はいってしまった。咀嚼できていない社会問題がやまほどある。ウクライナの緊迫状態、大型地震ハザードマップ、台湾の独立を求める声。それでも、わたしはわたしとして、卒業できるかどうかが気になってしまうんだった。もう春。わたしは春を好きなひととすごしたことがない。猫はうまく飼い主をみつけられるだろうか。

 

図書館の一隅より

1月ももう8日。私は相変わらず。

 

卒論は書いても書いても抜け穴がでてきて、抜け穴を封じるために、たしかなことばでつなごうとするのに時間がかかってしまう。

今は図書館の一隅にいて、12月の会話を思い出したから書き留めておく。

まわりの人は、熱心にレポートをぱちぽち打っていると思っている。

 

「あなたが楽な道を選べばいい」

これは、大学をもう一年いることに決めた友人が、教授に言われたらしい。友人はずっと気をはりつめていて、水面下に冷たい苦悩がいくつもあったようだった。これは大丈夫な欠片、と分け与えるように、少しずつ話してくれたのだけど、点と点がつながって、ああそういうことだったんだなと自然と腑に落ちた。これまで気づかなくてごめんね、というのは、ラインに打ったけれど、送らなかった。どうか、刺さったままの残りの欠片も、少しずつ誰かにわたせますように。誰かは私でも、私じゃなくてもいいから。「楽そうな道を選べばいいんだって」と唱えていた、私も心の中で追いかけるように。「余裕があるときにやさしくできればそれだけで十分だよ」というのは、自分に言い聞かせるように。

 

今年も無事集まれたので、友人らとのクリスマスパーティは大学4年間を通したイベントとなった。卒論やら自分やら最近のことを嘆くと、友人は器用に車を運転しながら、片手間で答えてくれた。

「結局中途半端にするのも苦しいと思う」、う~んと前置きに唸りながら。

そのあとはケーキを食べたりお肉を焼いたりカードゲームをしたりで忙しくて、この言葉にかまう暇はなかった。

 

1月6日のメモ、「楽そうな道は楽じゃない」。

去年のタスクを並べると、1月~7月就活、8月~9月教育実習、10~12月卒論。いつも隣りになんともかわいくない現実課題があって、寝るときもごはんを食べるときも横にいながら暮らしていた。

けどきっと、もうちょっとかわいがってうまく付き合う方法だってあったはずで、これは今後の課題。

楽だと思って逃げて選んだ怠惰な自分は、あんまりかわいがれなかった。不器用だし、効率が悪いがんばる自分のほうがまだ好きだなあ。

 

ということで今年は。

12月の注意書き、「逃げると頑張らないは違うよ」。

ぐっと力をいれるところは、力をいれて握りしめて。大切なものは離さないでいて。

 

音楽メモ

1月の雪と卒論のやわらかな難しさとカネコアヤノはとびきり合う。

カネコアヤノが旬の季節です。今聞くと、いつもよりおいしいよ。

今日は帰って鯵を焼こうと思います。

 

 

忘茶会

 

雪をみると、心持ちがしんとする。

大学までいくのが億劫になって(大抵の場合億劫)下の階でぼ〜っとしてると友人がお湯をとりにきた。

お裾わけした紅茶のティーパックにお湯をそそいで、一杯分、ゆっくりはなしをしてくれた。

外がうんと暗くて雪はこくこくと降っているのがカーテンの隙間からみえて、静かなのに騒がしい。

ここはまだあたたかくてあかるくて丸くなりたい。

ストーブのひかりとテレビの笑い声のこういうときの頼もしさ。

気休めにパソコンに文字を打ちながら、友人は紅茶を手持ちぶさたにかきまぜながら、いやなこと将来のはなし、恋人のはなしをひとつずつ話した、ひとつずつ。

勉強するのってなんでなんだっけ、こどもは親を選べなくて、恋人と結婚相手はどうやら違うし、私たち今は若いけど、もう22歳、遊牧民みたいな生き方もしてみたいし、海外のことも経済も法学も知らない、環境が左右してしまうことは残酷だし、世間は割とつめたいもんだ、育ちのいい子にはわからないこともあって、それでも私は今いる人たちを一人残らず手放したくない、音楽は捨てたもんじゃないかもしれない。

ひととおり話し終えるとひどく落ち着いて、眠たくなった。

もう今年は会えないかも、というから、たぶん寂しい顔をした。またすぐに会えるよ、よいお年を。どうか無事でいて。

わたしもあなたも、今年はもう十分すぎるほど、がんばったと思います。

 

good communication ×8

①体育座りの親友

・大学2年生の一時仲良くしていた人と久しぶりにまともに話して、私の友達の名前をだすと「ああ、親友のね」と言われた。「記憶の死ぬほど片隅」にあったんだって。記憶の死ぬほど片隅に追いやられた、私の友を思って、笑ってしまった。きっと体育座りなんかして、折りたたまれていたんだろうね。青年のパンチパーマの脳みそに、しまわれていた私の親友。

 

②ストーブもうつけた?

・卒論大炎上してるよのLINEの返事が、今寒いからあったかいほうがいいよ、だった。

 

③管轄外の愛と対照実験

・あの人いつみかちゃんのこと、好きだったらしいよと言われた。この世に私の管轄外の私に寄せられる愛があるとは、知らなかった。一度会話しただけな気がしたと言うと、原因が追究しやすいねと、理系の女の子は言った。なるほど。

 

④僕らはいつも

・動物園の写真を送ると、いまクッキー缶をとりにきたとこ、と教えられた。ひとつも会話は成り立ってないけれど、通じ合っている母子。

 

伝書鳩

・生徒からタレコミで、あの先生がいつみか先生と今度ごはんに行くの楽しみにしてたよと耳打ちしてくれた。わたしもごはん行くの楽しみなんですって返事をした、生徒に。先輩とごはんに行けたらあとはもうバイトやめてもいい。(サークルをやめたのと同じ経路)

 

⑥コンビニ寄って帰ろうよ

・「肉まん」「おまんじゅう」に喩えられたことはあるのに、「マシュマロ」は喩えられた前例がないことをたのしく話そうとしたら、いやマシュマロに中身はないし、肉まんとおまんじゅうはあたたかくて中身がぎゅっとつまっていて、断然良い、と思いがけず励まされてしまった。友に素早くレンチンされた私の心。友だちは要領が良いとバイト先でも定評がある。

 

⑦あのときばかりは家族

・トイレで手を洗っていると、「これハーブかしら」という声が前に置かれた。ハーブでしょうか、たまごみたいなつるんとしたおばあさまは横にいた。ハーブじゃないかもしれないですね、ハーブのにおいかもしれないですね、ドラッグストアの入り口まで、そのままいっしょに歩く。アルコール消毒は忘れないようにね。そうですね、ええ。

チンパンジーのコミュニケーション

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なぞなぞ

こねてもこねてもパンの形にならなくて、なんかもうジャムもチーズも入れちゃって味はよくわかんないし、次の焼き上がりの工程にいきたいのにさっぱり進まなくて、そもそもレシピ間違ってたかな〜みたいな。

 

(これは卒論の話)

 

ぎゅーっとあらゆるものが、わたしに強くブレーキをにぎるようにさせて、落ちないように転ばないように、ゆっくり少しずつ坂道をくだっている。途中で止まって、やっぱりこの坂道じゃないんだなって思うなら、自転車を降りる、それはそれでよくて。たまに何かに背中を押されて、音楽にのせられて坂道をくだる速度がはやくなってもいい。でもわたしは、一本の道を進める自信はあるよ。

 

(これは恋愛の話)

 

おまんじゅうや肉まんにたとえられたことはあっても、マシュマロにたとえられたことは一度もない。その差異に詰まってるのが全てだ。

 

(これはわたしの話)

 

1×10はできるのに、10×1はできないなあ。

 

(これは人間関係の話)

 

近くでみたらすごく気持ちの悪い色をしてる恒星でも、この距離ならきれいにみえる。

 

(これは人の顔の話)

 

優しいこになりますように、ハンバードハンバードを聴かせて眠る。

 

(これはさといもを煮てるときの話)

 

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忘れた

優しさ保険の適用範囲外だとするのが本当の優しさであることに気づいたから、連絡先を消した。というのは、自分にとって都合よく歪曲してる話で、死にそうになったら連絡してよね、と言ったのは私だった。つまり、別れても優しさ保険の対象ですからね、とはじめにお知らせしたのは私だった。優しさ保険延長料金は、私の未練、虚栄であったし、素晴らしい人であると信じていたかった可愛らしい気持ちである。「死にそうになったら連絡」の条件の下には、言葉にしなかった条件がいくつかあったが、その条件はうまい具合に伝わらなかった。優しさ保険は更新しない。ガキ使はもう放送されない。私は鼻歌を歌いながら、湯船に一人分のお湯をはろう。おみくじは来年の分を引いたら、さすがに捨てよう。耐えがたいほどのいいことが、あるべきである。

 

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何年経とうたって寿命がいつ来たって忘れはしたくないなって
そう思って今日を生きていたいんだ

 

まだまだ